先日、頭が痛くなり目をつぶってソファーで横になっていると、隣の部屋から小学生の息子がアニメの主題歌を歌っているのが聞こえ始めた。
普段、本を読んでいたり何か作業をしているときに歌声が聞こえてくると、集中力が削がれるのでストレスを感じることがあります。
その時も「こんな頭が痛いときに歌わないでほしいな」と思いつつも、目をつぶった状態でなんとなく普段より集中してその歌声を聞いていたところ、微妙にアレンジも加わったその歌がなんだか面白くなり、愉快な気持ちで聞き入っている自分がいることに気がつきました。
そこでふと、オランダの哲学者スピノザの言葉を思い出した。
「あー、これがスピノザの言っていたことか⋯」と、ものすごく納得ができたので、そのことについて今日は書いていきます。
スピノザを知るとグッと生きるのが楽になります。
それ自体には善いも悪いもなくすべては「組み合わせ」で変化する
スピノザの著書「エチカ」では、「自然界にはそれ自体に善いも悪いもなく、すべては組み合わせで変化する」という考えがあります。
どういう意味か「水」を例に説明。
水は人の生命の維持に必要なもので、体の水分量が減るとノドが乾き水を飲みたくなります。そんな時に飲む水は普段より美味しく感じ活力が生まれます。
でも、さらに水を限界まで飲み続けるとどうなるか?美味しさは感じられず気分が悪くなります。
気分が悪くなるどころか、大量に水を摂取することで水中毒により死ぬことさえある。
つまり、水単体は善も悪もないけれど、飲む人の状況次第で善にも悪にもなるということです。
面白い考えですよね。
水という単体は何も変化していないのに、受け手によって水はさまざまな変化をする。
僕が普段、家の中で何か集中して作業をしている時に息子の歌声が聞こえてくると、集中が削がれるのでストレスを感じていた。
ですが、先日のように目をつぶって聞いていたあの時は、同じ歌声でもとても気分が良くなった。
「作業をしている状態」と「歌声」は自分ではどうやら組み合わせが悪く、「何もしていない状態」と「歌声」は組み合わせがいいようです。
息子の歌声自体には善いも悪いもなく、それを聞く自分の状態で善いにも悪いにも変化する。
そう考えると日常生活で起きているストレスは、発生源となっているそれ自体は善いも悪いもなく、受け止める自分の組み合わせの悪さが原因だということになります。
今回の僕の体験でいえば、家で作業をしているときに息子の歌声が聞こえてきたら、一旦作業を止めて休憩に入り歌声を楽しむことで、ストレスどころか気分が良くなるでしょう。
これで普段、作業しているときに聞こえてくる歌声が、ストレスの発生源からリラックスの発生源へと変わります。
生活の中でストレスの元となっている物事に対し、「組み合わせを変えるにはどうしたらいいのか?」を考えてみることで、今までとは違った生活を送ることができます。
普段からストレスを抱えているようなことがあったら、一度、自分自身がどのような組み合わせでストレスを感じ、組み合わせを変えることで解決ができないか考えてみるといいと思います。
エチカに興味を持って読んでみたい人は、國分功一郎さんが書いた「はじめてのスピノザ 自由へのエチカ (講談社現代新書)」が読みやすくておすすめですよ。